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学会

2015年1月18日 (日)

敦煌學國際學術研討會・京都2015

『敦煌學國際學術研討會・京都2015』が京都大学で開催されます。

場所:京都大学百周年時計台記念館 国際交流ホールI・II
日時:2015年1月29日(9:30-18:30)・30日(10:30-17:00)

Poster_5

予約不要・聴講無料
「二十世紀初頭、京都において「敦煌学」という新たな学問分野が日中学者の協同によって打ち立てられた。而来、敦煌学は深化発展し、近年は日本古写本との比較研究が進められるに至った。敦煌学が始まって百有余年、今この京都の地にて国際会議を開催し、敦煌学の意義を問いなおす。」

2013年10月16日 (水)

チベット学情報交換会(仮)

今度、新しい会を立ち上げることにしました。名づけて「チベット学情報交換会」(仮)。はなはだイケてない名称で改称の余地ありなのですが、当面はこれで行きます。

目指しているのは、チベット研究に携わる色々な分野の人から研究の話や最新のトレンドを聞き、相互理解を深める、という場の創設です。チベット研究と一言でいっても、実はかなり裾のが広いのです。先回の国際チベット学会で延べ600人以上が集まったことからも分かるとおり、今や世界中で沢山の人が、仏教、歴史、言語、文化、生態など様々な興味をもってチベット文化を研究しているのです。チベット文化にはそれだけ研究する事柄があり、またそれだけ重要な研究対象であるのです。

ところが裾野が広がり、関わる人が多くなった結果、あまりにも多くの研究や情報が氾濫しており、自分の専門以外のことはなんだかよくわからない状況になりつつあります。これは良くないですね。チベット研究はそもそも学際的性質をもっているものですから、今の状況はあまり良くないです。

というわけで、少なくとも日本の研究者が何をしているのかということ、各分野の現在の関心ごとが何かということをお互いに情報交換する場をつくろう、新しい研究プロジェクトがそこから生まれちゃったりして、と妄想を膨らませた結果、このような妙な会を立ち上げるに至ったのです。

それって、今まである学会との違いは何なの、というツッコミがあるかと思います。相違点はズバリ、難易度です。ちゃんとした学会では、最先端の研究や最新の情報を得ることができます。しかし如何せん内容を理解するのが難しい。専門分野であれば何とかついていけますが、よく知らない分野になるとお手上げのことがままあるのです。

かといって、一般の講演では物足りない場合もあります。もう少し知りたいんだけど、と思うことが私にはよくあります。例えば、xxの研究をする上で絶対押さえているべき文献はどれだ、や、どの説が最有力なのか、ということはなかなか講演では得られませんね。

要するに、ちょうど中間の場がないのです。大体そういう情報交換は飲み屋などで行われたりするのですが、お酒も入っているので忘れちゃったりして、「あのとき何か重要なこと聞いたなあ」という印象だけで終わったりすることもしばしばです(そもそも私は飲めないのですが)。

じゃあ、シラフでやっちゃえばいいんじゃないか、ということです。言ってしまえば、学会未満飲み会以上ですね。

第一回目は11月17日、日本チベット学会に引き続き、高野山大学で行われます。名称も含めて今後どうなっていくのかよくわかりませんが、とりあえず走り始めてみようと思っています。

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第一回チベット研究情報交換会

日時:2013年11月17日(日)13:30〜15:30
場所:高野山大学本館2F 第3会議室

 

・山本達也(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科 客員研究員 /NIHU 研究員)
「音楽から難民社会を見るということ、   あるいはチベット関係サブカルチャー理解の脱構築」

・安田章紀(京都大学こころの未来研究センター研究員、京都女子大学非常勤講師)
「私のチベット研究̶ー回顧と展望」

・星 泉(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所 准教授)「今、チベット映画が熱い!」

---プロジェクト紹介---
・海老原志穂(日本学術振興会特別研究員 (PD/ 東京外国語大学)
・別所裕介(広島大学大学院国際協力研究科 助教)

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2013年7月29日 (月)

第13回国際チベット学会(International Association for Tibetan Studies)

ウランバートルで開催された第13回国際チベット学会(International Association for Tibetan Studies)に参加して来ました。通称IATSです。僕は「アイエイティーエス」と呼んでいたのですが、どうやら「イアッツ」と呼ぶ人の方が多いようです!

今回は7月21日から27日、一週間の日程でした。この学会は回を重ねるごとに参加者が増えており、今回はついに600人を超えました。こうなると、大きなお祭りのようです。主催側の負担は相当なものでしょう。参加する研究者の分野も多様で、仏教学に代表される文献学だけでなく、言語学、社会学、文化人類学など多岐にわたります。今回はさらにモンゴル学も含まれますからなおさらです。プログラムを見れば、一人で全てのパネルを周るのは不可能なことは一目瞭然です(ココ)。なお、石濱裕美子先生がパネルの題目を日本語化してくださっています(ココ)。

各発表内容をそれぞれ紹介するのは物理的にも能力的にも無理なのですが、若干感想めいたものだけを以下に記しておきます。

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この学会は通常3年に1回、開催地を移動しつつ開かれます。第1回目が開催されたのが1977年で、それ以来今回で13回目というわけです。ただし1回目の会議は元々Seminar of Young Tibetologistsという名でスタートしており、1979年のオックスフォードでの会議の際にInternational Association for Tibetan Studiesと名付けられ、遡って1回目が認定されることになりました。遡及して認定するところは、なんだか化身ラマ制度とも似てますね。

ちなみに、歴代の開催地は

(1)チューリヒ、(2)オックスフォード、(3)コロンビア、(4)ミュンヘン、(5)成田山(日本!)、(6)ファーゲルネス、(7)グラーツ、(8)ブルーミントン、(9)ライデン、(10)オックスフォード(2回目)、(11)ボン、(12)ヴァンクーヴァー、(13)ウランバートル

です。圧倒的に欧米、それもヨーロッパでの開催が多く、アジアでの開催は第5回目の日本と今回のウランヴァートルで、併せて2回のみです。このことから、チベット学の本場はやはりヨーロッパなのだ、とも言うことが出来るのかもしれませんが、主催者の出身地や会議開催の便を考えると致し方ないのかもしれませんね。実際のところ、バンコク開催の可能性も検討されたことがあるはずですが、結局うまくいかなかったようです。

ただこの点に関して、開会式、閉会式のスピーチ両方にて何度か繰り返し紹介されたエピソードと、その紹介のされ方が、私には非常に興味深かったです。

13世紀、ウィリアム・ルブルックというフランシスコ会の修道士がいました。彼はフランスからモンゴル帝国の首都であったカラコルムに派遣され、当時のモンゴル皇帝モンケに拝謁しました。また、その折にチベット仏教僧との対話を果たしています。1254年のことです。

それ以来、我々とチベットとは対話を続け、約750年後、我々はモンゴルに再度やってきた、ただし今回は国際チベット学会として、というのです。

チベットと西洋の対話という視点からすると、今回のウランバートル開催の学会は確かに記念碑的な出来事ということなのでしょう。しかし同時に、このような筋書きはそのまま、西洋こそがチベット研究のメインストリームであり、この学会もまたその流れの中に位置づけられる、という考えを明晰に表明しているように思えます。

西洋が実際にチベット学の本場であるのかどうか、研究分野や立場によって異なるのは間違いありません。しかし、上記のエピソードが繰り返し引用されたことが図らずも浮き彫りにしたのは、少なくとも現在学会を牽引する人々の中には、チベット学とは西洋とチベットとの対話である、という認識があるということなのです。このような認識は通奏低音のようにチベット学の底に流れており、僕みたいにぼんやりとチベット研究に携わっている人間には聞こえていないのですが、時折ひょっこりと水面にまで顔を出してきて、漫然とスピーチを聞いていてハッとさせられることになります。

そうなると、我々日本人のチベット研究における立ち位置はどうなるのでしょうね?同じアジア人とは言え、チベット側に立つのは絶対違うだろうし、また西洋人のルブルックの側に立つのも何だか妙に落ち着きません。日本人だからどうこうなどと言っていても仕方ないのですが、何とも言えない微妙な居心地の悪さがとても気になりました。

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だらだらと感想めいたものを書いてしまいました。なお、次回の学会開催地候補として、フランスかあるいはノルウェーからのオファーがありました。どちらに行くのでしょうか?あるいは別のところに行くのでしょうか?前回のヴァンクーヴァーの際も幾つかの候補地は上がっていましたが、フタを開けてみると全く候補に上がっていなかったモンゴルになりましたから、実際のところ次回の開催地は未定というところなのでしょう。

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